死んでみたら色んなことが見えてきた

このコロナ騒動で時間が出来たことをきっかけに、

お茶会としてオンラインで定期に集まっている元同僚メンバーとのシェア会。


会社辞める時は、これでみんなと関わりが無くなったら嫌だな~

なんて考えていたけど、どうやらいらぬ心配でした。


こうして関わりが続くのは有難く、

東京ー宮崎の距離を感じさせない文明の利器にも感謝かんしゃ♡





さて本題の。

『死んでみる』という擬似体験をしてみました。


なんたるパワーワード!

今回はお茶会メンバーのAmriさんが開催してくれた。


AmriさんはこのWSの本家である、

女医のNOBUKOさんによるWSを受講して来ており、開催の許可を得て今回に至りました。


※Amriさんはこれから一般向けにこのWSを開催する予定です。
ネタバレ含むので、新鮮な気持ちで受けてみたい方や、この手の話が苦手な方は読まないほうがいいかも!




死について日常的に考えるのは少数派?

いきなりだが、私は昔から死後の世界とか、自分が死んだ場合の想像をよくしていた。


そういう空想は何とも言えぬ恐怖感が襲ってくるし、

悲しくなって涙が溢れるのに何故だか止められず今もたまに(運転中とか)ふと考えてしまうのである。


周りの誰かが死ぬ想像よりも、自分が今死んだ場合。

家族や友人、仕事で関わってくれた方々がどんな顔をするのか。


特に近しい家族にどんな想いをさせてしまうのか、想像して泣くんです。


(あと地獄はどんなに恐ろしいんだろう、とか、これは子供の頃に見た地獄絵図の影響 笑)


多分、身近に感じていたひととか、家族で大切にしていた愛犬の死を経験して

遺される側の悲しみを見て感じていたから。

なんとなくそこに自分を重ねて想像してました。


みんな考えることだと思ってたけど、取り敢えず一番身近な旦那は考えないみたい。



ただ今回のワークは全然違っていて
今までは「遺される側」の気持ちを自分の経験からイメージしてただけであり
死に行き旅立つ側のわたしをここまで想像したのは、実は初めてなんだと気づいた。



⇩以下具体的な流れ⇩

・事前に4つの項目に分かれた「自分にとって大切なものや思い出、人物など」を5つずつピックアップしておく。(計20枚)


・死亡届を見てみる。当たり前だけど自分の死亡届って見れないのよね。


・何歳のとき、何時に、どこで、どうやって死を迎えたいのか考える。

⇨この時点では当たり前に老人になるまで生き、想像出来る限りの円満な死を迎える。


・受講者は事前に書いた20枚を広げて並べ、目を閉じてAmriさんの誘導を聞く。

自分が今この年齢で癌だという診断、治療、余命宣告、を受けて死を迎えるまでの話。

季節や場面がとても具体的で(ここたぶん大切)イメージが容易に、鮮明に沸いてくる。


・話を進める合間に、書き出した「大切なもの、こと」をどんどん捨てていく。

死に向けて手放すワークです。




私はこのワークの流れはなんとなく知っていたので、書き出す作業の時点で既に少し泣く(笑)



大切な思い出を手放すことは辛く難しかったけど、

それらを差し置いて意外にも後半まで残っていたもののひとつに「家」があった。

これは驚き。




具体的なモノとしてピックアップした家。

夫婦揃って一目で気に入った、中古の一軒家。

旦那さんがいろんな手続きをして頑張って購入してくれた。


まだ入居して10ヵ月の家だけど、どこよりも居心地が良くて落ち着く場所になった。


なんとなく、若くして最期を迎える時のイメージは実家になるかなと思っていたけど、

帰ってきたいのはちゃんとこの場所でした。

それが意味することって考えてみると結構大きかったなと。



私の故郷、青森の家族は勿論何年経ってもこれからずっと家族であり、実家は落ち着く場所なんだけど

それとは全く別に、旦那と、ちゃんと「自分の家族」を築けていたんだと思った。


「自分を生み育ててくれた親と妹たち」の家族を、自分たちで作った家族が超えることはないんじゃないかと思っていたんだけど(ごめんね旦那)

私にとっての宮崎、旦那と過ごすこの場所が、

「資産としてのモノ」を超え、想いとともに自分の予想以上に大きくなっていたことが嬉しかった。




自分に死が迫ったとき、何を感じる?


体調不良を感じてから診断を受けるまで、

そして効果が出るかもわからない辛い治療を受けてる最中は、怖くてずっと胃の辺りがモヤモヤしていた。


しかし最期に旅立つときには、重たく気怠い身体から、眠るように意識が遠のいていく。


ある意味解放されていく心地よさがあった。



その時を看取ってくれる家族や、見舞ってくれた友人を想いながら

もっとたくさんの恩返しを、特別なことでなくていいから

生活の中に散りばめていかなきゃならなかった、と感じた。



自分にはもっと与えられる何かがあるはずであり、出し惜しみをする理由もない。

イメージする限り、そのときに私が後悔するであろうポイントはそこだけな気がした。


いろんな国の景色が観たいとか、素晴らしい作品に出会いたいとか、

あれがしたいこれがしたい、いつも思ってるしたくさん出てくるかと思いきや…意外にも出てこない。


ここまでの私の人生、私にはかなり楽しかったから、あ~楽しかったな!って思えた。

幸せなことですね。



私に子供が居たらまた変わるのだろうと思うが、今のところはこれでオッケー。

人の縁に恵まれ、助けられ運よくここまで生きてこれた私には、それを返していくことがこれからのミッションなんだと思った。



実はこの「与えられる人になる」は今年の目標に立てていたなと、この時思い出す(思い出すということは、、察してください。笑)



今回リードしてくれたAmriさんブログでは、
自身の生き様を証明したいし、肉体が死んだ後も自分が創り上げた場を自由に使ってほしい、と。


私には無い感覚で面白いなと感じる。

皆んなとも想いをシェアする時間があり、感覚がそれぞれで面白い。



「与えられる、返せるひとになる」と書いておきながら、

死ぬときはやっぱり、あ~楽しかった!で終わらせたい気持ちが一番強い。


これは自分本位すぎる?エゴなのか?と、もう一度考えてみた。



思い出したのは前に読んだ本の話で

人間は利己的な行動では喜びを感じることが出来ず

利他的な行いにこそ喜びがあるのだと。



じゃあやはり、私が楽しくなるには!与えられるひとになるのが一番の近道!

今年の頭に立てたは良いが忘れかけていた(!)目標の再確認になった。

めでたし!



死を考えることは生き方を考えること。

たくさんの関わってくれている皆んなに、ありったけのお返しができるように!考えなきゃなぁと心に決めたのでした。



yoga実践者にもそうでない方にも。あまり普段考えない方にこそ?

本当に良いWSです。

一度立ち止まりたい皆さん、お勧めですよー♡⃛

Private Yoga Room HOSHINONE

宮崎市のプライベートヨガサロン ほしのね 主催によるブログ。

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